とある野の中を自転車で走ると・・・

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誰に問うまでもなく中将実方朝臣(ちゅうじょうさねかたあそん)の墓に到る。

文治2年(1186年)の秋、西行はこの墓を詣でている。
中将実方朝臣:(※1,2)
中古三十六歌仙の一人藤原実方朝臣、由緒ある家柄に生まれ美貌と風流とを兼ね備えた貴公子。源氏物語の主人公、光源氏のモデルと言われる。
宮中で狼藉をはたらき、一条天皇に「歌枕(名所旧跡)見て参れ」と陸奥守に任ぜられた(体のいい左遷)。これが長徳元年(995年)。出羽国千歳山阿古耶(あこや)の松を訪ねての帰り道、名取郡笠島道祖神の前を下馬せず通り過ぎようとすると馬が暴れて落馬。病の身となり「みちのくの阿古耶の松をたずね得て身は朽ち人となるぞ悲しき」の痛恨の一句を残して、長徳4年(999年)不帰の人となる。

※1:名取市・名取市観光協会のパンフレット
※2:西行 白州正子 新潮文庫

自分なりにばっさりとまとめてみました。

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さて、自転車をおいて、案内板に従います。

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松尾芭蕉句碑。
松尾芭蕉はここには来ていませんが、「おくのほそ道」の中で白石(宮城県南部)を過ぎた後、
中将実方の塚の場所を土地の人に聞くくだりがあります。
「ここから遥か右にある山際の里を蓑輪・笠島といい、道祖神の社や形見の薄(すすき)が今でもあるよ」と教えてくれた。でも、五月雨の悪路で疲れちゃって遠くから眺めるだけにして通り過ぎたのよ。

「五月雨」と地名の「蓑(みの)」「笠(かさ)」を対比させるとは、何とも心憎い文章だ。
そして、以下の句を残している。

- 笠島はいずこ五月のぬかり道

いや、見事なり。さて、「遥か右」と書いていますが、南から来た芭蕉が中将の塚を右に見て歩いたとは思えないなぁ。現在では、中将の塚の左手には東北自動車道(高速道路)の菅生PAがあります。芭蕉はクルマで来たのかも・・・。

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竹が生い茂る静かな参道を歩く。

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こんな感じです。
右手が西行の歌碑。中央奥にあるのが実方の歌碑です。

現住所は名取市愛島塩手字北野42番(国有地)とのこと。

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実方の歌碑。歌碑自体は高さ2.8m、幅1m。
「桜がり、雨はふりきぬおなじくはぬるともはなのかげにかくれむ」の歌が万葉仮名で美しく刻まれている。
(名取市・名取市観光協会のパンフレット)

らしいですが、全く分かりません。雨とか少し分かる文字はありますが・・・。
流麗過ぎてよく分からないと言うのが正直な感想。

明治40年11月に建てられたようです。

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西行法師の歌碑
「朽ちもせぬそのなばかりとどめおきて枯野のすすきかたみにぞ見ゆ」
(名取市・名取市観光協会のパンフレット)

パンフレットでは「見ゆ」ですが、岩波文庫 西行全歌集、新潮日本古典集成山歌集では「見る」でした。

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パンフレットによるとこれが「実方の墓標」だそうです。
隷書体?詳しくはないです。

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側面にはまたまた綺麗な字が彫られている。

たぶん、西行の「朽ちもせぬ~」の歌と詞書の部分かな。
拓本に取りたいな。

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こんなポストがあり、ここにパンフレットがありましたので、ありがたくいただきました。
この記事もパンフレットによるところが大きいです。

面白いのは、このポストには自作の歌などを投稿することができます。
用紙も入っています。私にそういう才能や知識はないのでみるだけ。

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今にも朽ち果ててしまいそうな説明板。
頑張って転記しようと思ったけど疲れた。

実方、西行、芭蕉、芭蕉の門人天野桃隣のことが書かれています。

こういう感じで、歴史にふれたのでした。

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ちょっと時間があったので、自転車に乗る。

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ぐるーっと走って「大師の峠」(と私はよんでいる)を超えて村田へ。


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ひまわりが咲いていた。
カメラはリコーのGR4。

フィルムカメラ時代からGRレンズは実物以上に綺麗な空に写る。
このデジタルでもいい感じだ。

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村田はオニヤンマ?がたくさん飛んでいた。

こいつは道に落ちてひっくり返っていた。
クルマに轢かれそうだったので、道端に移動させ起き上がらせてみた。

でも、この後、ご本人が再び体をくねらせ仰向けにひっくり返った。
思案にくれたが、そのままにしてあげた。頑張って生きろ!

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陽は暮れてカナカナ蝉が鳴く夕べ。
夏ですなぁ。

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あっと言う間に名取にもどる。
久しぶりにいい汗かいた。

走行距離:45Kmくらい